「問題」を、どう捉えるか
環境問題、人種問題、食糧問題…私たちの周りには、次から次へと「問題」が生まれてきます。特に、自分たちと異なる人々を指して使われる「〇〇人問題」という言葉は、私たちの心をざわつかせることがあります。
でも、そもそも「問題」は本当に「悪いこと」なのでしょうか?
「問題」は「問い」である
私たちは、まるで「問題」に「正しい答え」が一つだけあるかのように考えがちです。学校教育で「問い」には必ず「正解」があったように、私たちは無意識のうちに「問題=解決すべき悪いこと」と捉えてしまいます。
しかし、立ち止まって考えてみましょう。「問題」とは、何かを決めるためのものではなく、じっくりと「考えるための題材」ではないでしょうか。それは、善悪を判断するジャッジメントではないのです。
答え探しではなく、理解のための対話
「問題」をすぐに「解決」しようとすると、私たちは一瞬の「正解」を求めてしまいます。その結果、時には相手を力でねじ伏せようとする「制圧」という手段を選んでしまうこともあります。そして、その制圧しようとする心の動きは、いつしか「暴力」へと姿を変えてしまいます。
本当に必要なのは、答えを探すことではありません。大切なのは、お互いを理解し合うために、深く考え、そして対話をすることです。
自分自身を静かに見つめる時
「自分たち」という枠組みの中ですら、私たちは一人ひとり違う存在です。対話があるからこそ、私たちは相手を「敵」ではなく「仲間」として認識できます。しかし、ここにも、知らず知らずのうちに相手をコントロールしようとする「制圧」の圧力がかかることがあります。
本当に向き合うべき「問題」は、他人の中にあるのではなく、自分自身の中にあるのかもしれません。
静かに、ただ自分を眺めてみてください。
恐れや不安を認め、受け入れることができた時、攻撃的な気持ちは薄れていきます。そして、本当に自分に必要なものが、きっと見えてくるはずです。