今日という一日に感謝
どんな一日であったとしても、こうして新しい一日がやってくること自体が、本当に有り難いことだと感じるんです。
どんなに辛い体験であったとしても、その出来事は後から振り返ったときに、きっと自分にとって意味のある大切な糧に成っていくはずだからです。
一人で抱え込まなくていい
もしも目の前の出来事が、ひとりではとても耐え難いものに思えるなら、無理に抱え込む必要はないのではないでしょうか。
身近な誰かと、その痛みを静かに「和かち合い」ながら進んでいけばいいのだと思います。
誰かではない自分の苦しみを誰かに聴いてもらい、理解と共感の意識に触れるという体験は、ただ言葉にして話すだけでも、内側から生きる力が少しずつ還ってくる感覚がありますよね。
そうした「和かち合い」の瞬間は、個としての自分と全体の鼓動がそっと重なり合うような、温かな時間なのかもしれません。
自分の人生を紡いでいくということ
過去に立ち止まってしまったり、思い通りにいかなくて悩んだりした日もあったかもしれません。
だからこそ、そうした様々な経験があったからこそ、私たちは今こうして一日一日の重みを噛み締めながら生きられているのだと思います。
一日一日をコツコツと繰り返し、長い時間をかけていくつもの意味が重なり合っていくことで、少しずつ「自分」という存在が創られていくのではないでしょうか。
順風満帆な日ばかりではないかもしれません。
でも、どんな経験も無駄にはならず、自分の歩みそのものになっていく。
だって、思い通りにいかない日々の中にこそ、後から宝物だと気づくような大切な瞬間が隠れているじゃないですか。
ふと立ち止まったとき、誰かではない自分は今、今日という一日をどのように受け止め、過ごそうとしているでしょうか。
または、周りの人々とどんな想いを「和かち合い」ながら歩んでいきたいでしょうか。
静かに心に問いかけてみてもいいのかもしれません。

