否定の否定は肯定ではなく、否定
肯定を否定することは、どこまでいっても否定です。
そして、否定を否定することもまた、肯定に変わるわけではなく、やっぱり否定なんですよね。
私たちはつい、正しさを求めようとして「否定の否定」を繰り返してしまいがちですが、本当はただ「肯定」だけがそこに静かに存在しているのだと思うんです。
何を見つめ、何を観るか
何を見つめるか、そして何をどう観るかによって、対象そのものが全く違った姿へと変化していきます。
過去に自分の嫌な部分ばかりを責めてしまったり、誰かの意見を否定することで自分を守ろうとしたりした日々があったかもしれません。
だからこそ、そうした遠回りをしてきたからこそ、ただ目の前にあるものをそのまま受け止める「肯定」の持つ優しさと力強さに気づけるのではないでしょうか。
否定の連鎖を超えていくために
何かを批判したり打ち消そうとしたりするとき、心の中には知らず知らずのうちに緊張や痛みが生まれてしまいます。
誰かではない自分自身が、今どの視点から世界を見つめているのか。
否定に意識を向けるのではなく、ただそこに存在している肯定の側へそっと光を当てていくことが大切な気がします。
でも、自分の心にあるネガティブな感情を排除しようとする必要はありません。
「否定したくなっている自分」さえも、まずはそのまま肯定してあげることからしか始まらないと思うからです。
肯定の眼差しを誰かと巡らせる
自分の内側にある温かな視点を大切にしながら、その穏やかな世界観を周りの人と「和かち合い」ながら生きていきたいものですね。
だって、打ち消し合う戦いの中にいても、心が満たされることはないじゃないですか。
ふと立ち止まったとき、自分は今、何かを否定することで立ち向かおうとしているでしょうか。
または、ただそこにある肯定を見つめ、世界を優しく受け入れようとしているでしょうか。
静かに心に問いかけてみてもいいのかもしれません。

