無難が良いの?

2024年5月21日

僕は無難が必ずしも良い訳じゃないと思っています。

「難はあったけど大丈夫だった、勇気を出せた、知恵を重ねて活路を見出すことが出来た。」
そういった体験の積み重ねが自分を蓄積されて醸成していくのだと思います。

色んなシーンでアドバイスをしてくれる方がいたとしても、自分にとって良いわけでもないと思います。
だから、誰かに対して自分の体験をやみくもに押し付ければ良いって訳じゃないですよね。

大切なのは、「それでも難が起こらないことを願って止まない想いが、あなたや自分の中に在るんだね」って受け取れることだと思います。

それが支え合いだと思います。

「在るものが在るんだね」って受け取れることって「気付き」だと思うし、例え気付けなかったとしても、どんな想いが在るんだろうって知ろうとしていく。これって優しさなのだと思います。

ひどく苦しい時、辛い時、悲しい時、難がある時…
誰かに声をかけられたら、やっぱり安心できるじゃないですか
「一人だったら向き合えなかったかもしれないけど」
「越えられなかったかもしれないけど」
今ここに自分がいるということは、誰が何と言おうと、直接だろうが間接的だろうが誰かが居てくれたから成り立っているんです。

忘れてしまっているかもしれませんが、誰にでもその「誰か」が必ずいたんですね。
そして、『自分も誰かのその誰かになっているんです』
これを忘れないで持ち続けて欲しいです。

自分の体験は誰かじゃなく自分の体験。
誰かの体験は、誰かの体験であって自分の体験ではないんですよね。

だから「私とあなたは別々なのだから、無関係で無関心」ってなっていくのではなく、誰かと誰かがいてくれること、そして自分自身がいてくれること、体験は分かち合えるんだって、存在を信頼できたら難は難でなくなり、それは、ただの『出来事』になるのだと思います。

ここに意識を向けれたら、気付きも起きるだろうし、そこには感謝の感覚が伴うようになっていくんじゃないのかな~って思います。

これまで書いてきた内容のきっかけの為や、一人で苦しい時、何か変だな~、メンテナンスが必要かなって思う時にカウンセラーがいます。
必要だな~って思った時は、我慢せずに迷わず相談してくださいね。