親である前にひとりの人

親と子の関係性で指示をしたり干渉したくなるのは、自分への信頼が足りてなかったり、抑圧しているものが投影され、子を正そうとする。
それが”親”の役目なんだと無自覚に思いこんでしまう。

口を出したり先回り行動をしたくなった時に、それはなぜか…を感じてみてほしい。
その心配は子供の為と言っているけど、本当は自分の為になってないかな…
それは自分がされて嬉しいのかな…
子の機会を減らしてないかな…
もしかしたら、子供の前に自分を満たす方が先かもしれないな…って。

自分を置き去りにして「べき親像」を目指してたり、自分が欲しかったけど得られなかったものを子に与えようとして、更に自分を抑圧して接していても、子供にはその違和感のまま伝わっていき、自分を抑圧する子になっていくと思います。

親という字は、”木”の上に”立”って”見” るです。それって監督的ってよりも信頼してただただ眺めている。
それをするには、親が自分を知りその自分を信頼していくこと。
子を心配するよりも、子も自分をも応援して自分を満たしていくことだと思います。

ただ、どんな状況でも自分を責める必要はなく、やれることを精一杯してきたと自分を認めるところから…
今ここから始めていければいいんです。
その真摯な自分の姿も子供に伝わっていくのですから。

自分にとっても誰かにとっても、暴力コミュニケーションから非暴力コミュニケーションへ。
在るものを抑圧したり否定批判ぜずに、在るものが”ある”と認めて出していける、そして理解し合えると佳いですよね。