「無い」を埋めるための批判、その先にあったもの

そう遠くない昔。 自分は、誰かや何かを批判し、否定し、間違いを指摘することに心血を注いでいました。
そうすることで自分を正当化し、自分の正しさを証明しようとしていたのです。

しかし、それを重ねれば重ねるほど、自分の首が絞まっていくような感覚がありました。
「こうあるべき」という規律の範囲はどこまでも広がり、逆に自分自身の選択肢はどんどん狭まっていく。
そんな現実に直面した結果、最後には自分自身が破綻し、潰れてしまいました。

存在を証明したかっただけなのに

振り返ってみれば、自分がやっていたことは「存在の否定」そのものでした。
本当は、ただ自分の存在を承認し、ここにいていいのだと証明したかっただけ。
それなのに、他者を否定する刃は巡り巡って、結局は自分をも否定することに繋がっていたのです。

すべての起点は、自分の中にある「恐れ」を認めず、無いことにして隠そうとしていたことでした。

「無い」から「在る」への転換

「無い」という不足感や虚無感は、いくらでも作り出すことができてしまいます。
一番難しいのは自分自身を知ることであり、一番楽なのは他者を批判することです。
安易な道を選んで「無い」ものに縋り付いても、心は満たされませんでした。

大切なのは、「無い」ものを嘆いたり埋めようとしたりすることではなく、今ここにある「在る」をどう生きて、どう活かしていくか。

自分を律する鎖を解き、今の自分が持っているものを直視することから、本当の意味での「生きる」が始まるのだと感じています。