ボランティアは「行為」にあらず。「その想い」を日常に
「ボランティア」と聞くと、特別な場所に出かけて特別な活動をする「行為」だと捉えがちです。
もちろん、活動そのものは尊いものです。私たちはボランティアの現場に行けば、「誰かの為、自分の為」と、やるべきことを積極的に実行できます。
しかし、自分の日常に目を向けるとどうでしょうか。
「人は人、私は私」と、まるで周りの人々や出来事と自分を切り離すかのように、どこか冷めた関わりをしてしまうことはありませんか?
ボランティアの場と日常。この違いは、その場に流れる「関係性」と「心の姿勢」にあるのかもしれません。
日常で「ボランティア」ができなくなる理由
日常から少し離れた場所では積極的にボランティアができるのに、自分の生活圏ではそれが難しい。もしそうだとしたら、そこには何が潜んでいるのでしょうか。
それは、私たちが無意識のうちに「メリット/デメリット」という基準で動いていないか、という問いにつながります。
- ボランティアの場: 「誰かを助ける」「社会貢献」という明確な「メリット」が動機になる。
- 日常の場: 見返りが不確かな関わりや、面倒に感じる行為には「デメリット」を感じ、壁を作ってしまう。
「自分はその在り方で本当によいのか?」
自分の心の動きを改めて問い直すことが大切です。メリット・デメリットのフィルターを外して、ほんの少しでいいから目の前の人に「ボランティア的関わり」をしてみる。
例えば、困っている人に声をかける、感謝を言葉にする、手を貸す。特別な場所ではなく、ごく当たり前の日常で、他者への想いを表現するのです。
「行為依存」から「想い依存」のサイクルへ
ここで誤解してほしくないのは、「メリットで動く行為」を否定しているわけではないということです。行為によって助けられる命、動く社会があるのは確かな事実です。
しかし、その「行為」は、常にエネルギーを必要とするため、永続してできるかと言われれば、それは一時的なものになってしまいがちです。
だからこそ、行為に頼りすぎるサイクルで生きるのではなく、自分の起点を改めて問うことが重要です。
本当に大切なのは、「行為」そのものではなく、その行為の裏側にある「想い」です。
「誰かを思う心」「関わりたいという純粋な気持ち」
この想いを大切にしたサイクルに入ることで、私たちの日常の関わりは変化します。
これが、やがて想いから共創する循環となり、日常のささやかな行為一つ一つに、ボランティア活動と同じくらい温かい意味が生まれてくるのだと信じています。
あなたの日常に、ボランティアの「想い」を根付かせてみませんか?

