外国人問題…と聞いて思う事。それは本当に「他人事」?
「外国人問題」という言葉を聞いた時、ふと疑問に思うことはありませんか?
「あれ? 誰もが誰かにとっての外国人じゃないか?」
もし、私たちが「ここはどこ、私は誰」という状態になったとしたら、「外国人」という概念そのものが存在しない世界になるのではないでしょうか。ただそこにいる「人」として、私たちは互いに出会うはずです。
では、なぜ「外国人問題」は生まれるのでしょう。
問題の根源にあるもの
それは、変化への本能的な恐れや、異なる文化や風土への理解不足が原因で、対立が生まれてしまうからだと考えます。
無意識的な差別は、誰の中にも存在しているかもしれません。私自身も、知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまっていることがあるかもしれません。だからこそ、「外国人問題」は決して他人事ではなく、私たち自身の問題として向き合う必要があるのです。
別の視点から世界を見てみよう
この問題について考えるには、それぞれの価値観や文化(フレーム)を尊重しつつ、さらにその外側にある、より大きな視点から物事を見る必要があります。
なぜ、歴史的な対立や文化的な衝突は繰り返されるのでしょう。
それは、効率や合理性を追求するあまり、**「人としてどう生きるか」という最も大切な視点を見失い、「どうやるか」**という手法ばかりに囚われてしまっているからではないでしょうか。
他者の想いに共感することは、合理的でも効率的でもないかもしれません。しかし、この非効率的な共感こそが、バラバラになった世界を統合へと導く唯一の方法だと信じています。
もし、すべての問題が効率と合理性だけで解決できるなら、とっくの昔に世界から争いはなくなっているはずですから。
あなたは「外国人問題」について、どんな風に考えていますか? ぜひ、あなたの考えを聞かせてください。