心で生きるということ:中村久子さんの「いのち、ありがとう」に学ぶ

中村久子さんという方をご存知でしょうか? 両手両足がないという困難な状況にありながら、その力強い言葉は、私たちの心に深く響きます。今日は、中村さんの言葉から、私たちが「心で生きる」ことの意味を考えてみたいと思います。

肉体を超えた「心」の力

中村さんはこう語っています。

人間は肉体のみで生きるのではなく、心で生きているのです。

私たちはとかく、目に見えるもの、形あるものに囚われがちです。しかし、中村さんのこの言葉は、肉体の有無にかかわらず、私たちの本質は「心」にあることを教えてくれます。心がなければ、どんなに健康な肉体も意味をなしません。心こそが、私たちを人間たらしめ、生きる意味を与えてくれるのです。

「いのち、ありがとう」という感謝

中村さんの言葉には、生かされていることへの深い感謝が込められています。

いのち、ありがとう。

このシンプルな言葉の裏には、計り知れないほどの経験と、それを乗り越えてきた強さがあるはずです。私たちは、日々の忙しさに追われ、当たり前のように過ぎていく「いのち」を意識することは少ないかもしれません。しかし、中村さんの言葉に触れると、いまここに存在すること自体が奇跡であり、感謝すべきことなのだと改めて気づかされます。

最も良き師、良き友とは

そして、中村さんの言葉の中で特に胸を打つのが、この一節です。

良き師、良き友に導かれ、かけがえのない人生を送らせて頂きました。今思えば、私にとって一番の良き師、良き友は両手、両足のないこの体でした。

普通であれば、欠損を「不運」や「不幸」と捉えてしまいがちです。しかし、中村さんは、その「両手、両足のない体」こそが、自身にとっての「一番の良き師、良き友」であったと語っています。これは、困難を困難として受け止めるだけでなく、そこから学び、成長する糧とした中村さんの驚くべき精神性を物語っています。

生かされている喜びを胸に

私たちは、自分で勝手に生きているのではなく、生かされて生きている。このことに気づかされると、日々の見方が変わってきます。

辛く苦しいことは誰にでもあります。しかし、そこで「我慢」「妥協」「諦め」を正当化して人生を生きるのではなく、中村さんのように、心と共に「今を活きていこう」「今を生ききろう」と心から思えるようになりたいものです。

中村久子さんの言葉は、私たちに「生きる」とはどういうことなのか、そして「心」の力がどれほど偉大なのかを、その体験を通じて静かに、しかし力強く伝えてくれているように感じます。