怒りや不機嫌でコントロールしようと言うことは。。。
高校時代、ビクッ!!としてその発信源を見ると◯◯◯部の顧問の怒りの声…
「お前達の為に言ってるんだぞ!」
「あなたの為に…」と高圧的に教えようとしている声でした。
その周りにいる部員達は、教えを学んでいるというよりも、その時間が過ぎ去っていくのをただただ耐えてやり過ごしているように見えた。
怒りをぶつけられた側は、部活そのものよりも、「怒られないように」とか「ミスをしないように」と、目的が変わっていきます。
力を発揮し目標へ向かっていくこと、達成することの喜び、命のパワーは失われていくと思います。
それは、恐れや不安から動く…ということで、健全か不健全かと言われたら、不健全だと思います。
僕のいた部では、怒りで人を動かそう、不機嫌でコントロールしようという顧問ではなく、一人ひとりに合わせた指導や、全部とまではいかなくても自分も体を動かし、苦楽を共にする顧問で部員の一人の様な人でした。
それは結果的に喜びや感謝から動く…ことが育まれていき、健全だったのだと思います。
それと同じ様なことが企業や組織でも伺われていて、圧倒的に多いのは前者の例です。
相手の為と称して、苛立ち、怒りをぶつけてしまうのはなぜか…
もし、それが”組織の為だ”とか”お前の為だ”とかと言う人は、人や自分の命を粗末にすることであり、そこに潜んでいるのは暴力なんですよね。
更に、その社風であり雰囲気を”仕方がないよね…”とか”そういうものだ”と肯定することも暴力に分類されるんです。
知らず知らずのうちに人の命の尊厳を損なう行為に加担していないか…
目に見えない部分であっても、自分の考え方や行動が周囲に影響を及ぼしていると考えていくことが非暴力コミュニケーションであり、自分も相手も大切にしようとすることだと思います。
価値観や文化的背景は押し付けるものではなく、そこに気付いて、「一人ひとりが感じて考えて動き満たしていく」ものだと思います。
諦めたらそこで思考停止に出来るけど、暴力は否定せずに在るものとして、無くそうとか排除しないで別の方法を探していく。
それが、暴力に頼らずに命に適った生き方へ繋がっていくのだと思います。