恐れを越えていく

目的を優先して動いているとき、どうしても自分を、あるいは周囲を操作したくなってしまいます。 計画を立て、進捗を追い、すべてを管理下に置く。自分の思い通りに物事を進めようと必死になる。

でも、現実はそう簡単にこちらの指示には従ってくれません。 計画が狂い、思うようにならないとき、自分の中にひどい不快感が湧いてきます。そして、その不快感を解消するために、さらに強い負荷をかけて力ずくでコントロールしようとしてしまう。

これって、すごく「苦しい」ことだと思うんです。 自分の思い通りにしているつもりで、その実、自分自身が一番何かに縛り付けられているような、そんな矛盾を感じてしまいます。


人生という大きな流れに身をゆだねる

でも、もっと大きな「人生」という尺度で眺めてみると、そもそもこの世界は自分の力だけで制御できるものではないという事実に気づきます。

自分は自分の足でゴールに向かって歩いているつもりでした。 けれど本当は、自分を超えた何かに運ばれているのではないか。最近、そんなふうに感じるんです。

だったら、必死に手綱を握って操作しようとするよりも、自分という存在そのものに委ねて生きてみたほうがいい。 だって、自分一人の力でどうにかできることなんて、たかが知れているじゃないですか。

一人ひとりがかけがえのない命を担っているのだから、コントロールしようと躍起になるのはもうやめて、その命の力を信じ、任せ、託してみる。 そのほうが、ずっと自然な姿だと思うんです。


苦しみを受け容れて、活きる

なぜ「苦しみ」が生まれるのか。 それはきっと、変えられないものを変えようと抗うからではないでしょうか。

過去に思い通りにいかなくて苦しんだ経験があります。 だからこそ、今の自分は「委ねる」ことの強さを実感できている。あの時の葛藤が、今の生き方の源動力になっていると感じます。

不思議なもので、苦しみを受け容れてしまうと、あんなに執着していた苦しみがふっと離れていく。その代わりに、静かな満たしが訪れる。

ルールで縛ったり、自分に負荷や罰を与えたりして無理やり動かすよりも、すべてを託すという想いを自分自身で実践していく。 それが、本当の意味で自分を大切にすることに繋がると思うんです。

誰かではない自分として、生き残るため(サヴァイブ)に神経を研ぎ澄ますのではなく、持てる力を存分に発揮して「活きる」ために。

共に新しいものを創り出す「共創」の本質も、そんな全託の姿勢から始まるのかもしれません。

自分は今、何に抗い、何をコントロールしようとしているのか。 たまには立ち止まって、そんな問いを自分に投げかけてみてもいいかもしれませんね。