愛おしい当たり前
もしかしたら、当たり前……などということは、この世界に一切ないのかもしれない。 最近、そんな風に思うんです。
私たちは日々の忙しさの中で、目の前にある日常を当たり前のものとして受け入れてしまいがちです。 無自覚に、何も気づかずに通り過ぎてしまうけれど、失ってから初めて「あんなに大切なものだったんだ」と気づくことって、本当に多いですよね。
「当たり前」という言葉をこれまで軽々しく口にしてきたけれど、今はその響きにどこか違和感を覚えます。
有限だからこそ、愛おしい
そこに存在してくれていること。 いつもそばにいてくれること。
それらは決して、いつまでも続くわけではありません。 相手だけでなく自分も含めて、私たちの命や時間は無限ではなく、すべて有限なんですよね。
振り返れば、過去に大切なつながりを不器用さに任せて失ってしまったり、すれ違ってしまったりしたこともありました。 でも、そんな苦い経験があったからこそ、今目の前にいる人の存在の尊さが、身に染みてわかるようになったのだと思います。
だって、すべてが永遠に続くわけじゃないですか。
だからこそ、いま手の中にある関係や時間を、もっともっと大切にしたいという力強い想いが湧き上がってくる。そう思うんです。
失う前に、手渡せるもの
でも、失ってから気づくのでは、少し寂しい。 できれば、その有り難さや尊さに、失う前の「今」この瞬間に気づけたら佳いなと思うんです。
お互いが存在している奇跡を、互いに意識し合えること。 それは、誰かではない自分自身が、今ここから始められることなのかもしれません。
私たちは、目に見えない温かい気持ちを「和かち合い」ながら生きています。
今、自分の隣にいてくれる人。 いつも当たり前のように連絡をくれる人。
その人たちが明日も同じようにそばにいてくれる保証は、どこにもありません。 自分は今日、その限られた時間の中で、大切な人にどんな言葉をかけ、どんな想いを伝えていきたいですか。

