感じたいから、私たちは言葉を紡ぐ

私たちは日々、コミュニケーションを取っています。言葉を交わし、情報を伝え、理解し合おうとします。しかし、本当に言葉だけでコミュニケーションが成り立っているのでしょうか? 私は、私たちがコミュニケーションを通して「分かってもらいたいことを感じたい」という一点に尽きるのではないかと感じています。

「どうせ分かってもらえないだろう」という無意識の諦めが、かえって話を複雑にしてしまうことがあります。けれども、もし私たちが「共同体感覚」をもってコミュニケーションに臨むなら、そのあり方は大きく変わるはずです。

言葉のその先にある「共鳴」

共同体感覚とは、自分は何を感じたいのか、その願いを言葉を使って表現することです。発した言葉が相手に伝わるだけでなく、自分自身にも響き、より深く自分の内側を理解するきっかけとなります。

そして、相手がその言葉の奥にある「感じたいこと」を感じ取ろうとしてくれ、さらにそれを表現してくれることで、私たちはこれまで気づかなかった自分の感情の深みへと導かれていきます。

私たちの頭の中だけで考えていることには限界があります。自分は何を感じたいのか、その感じるために何をしているのか。そうした問いへの答えは、単なる表現を超えて、まるでネットワークのように共鳴し合う関係性の中で見つかるものです。論理性を度外視しても、本当に伝えたい想いは、確かに伝わります。

諦めない「感じる世界」

コミュニケーションにおいて、正解や不正解は重要ではありません。大切なのは、互いに「そこには何が在るのか」を感じることを諦めない世界に身を置くことです。

相手の言葉の背景にある感情、意図、そして願い。それらを感じ取ろうと努めること。そして、自分の内なる感情を正直に言葉にすること。そうした相互作用によって、私たちはより深く繋がり、理解し合えるのではないでしょうか。

感じたいから、私たちは言葉を紡ぎ、コミュニケーションを取り続ける。そんな、温かく、そして力強い営みが、私たちの日常に満ちていますように。