根拠のない「信」を、美しくまとう

信じるということは、本当はとても不確か極まりないことなのだと思うんです。 何の根拠もないし、理屈で説明しようとすればするほど、ややもすれば怪しいとさえ思われてしまうかもしれません。

でも、確かな証拠があるから動くのではなく、ただ真っ直ぐに信をもつ。その人の佇まいに、どうしようもなく希望や魅力を感じてしまうこと、あると思うんです。

自分を信じるという、最高の覚悟

誰かに信じてもらうことを待つのではなく、まずは自分だけは自分を信じる。 「自分とはこうなんだ」と、誰が何と言おうと、自分の信を携えて自分を活きようとする。その姿は、どんな言葉で飾るよりも美しいと思うんです。

以前の自分は、他人からの評価や、確かな正解ばかりを探して立ち止まっていました。 だからこそ、今は根拠のない自信ならぬ「自分への信」を大切にできています。あの時の迷いがあったからこそ、外側の基準に振り回されないことの尊さに気づけたのだと思うんです。

迷いながらも、自分を活かす

でも、そんなふうに自分を貫くのは、時に怖くなることもありますよね。だって、誰も「それで合っているよ」なんて保証してくれないじゃないですか。

それでも、自分が自分の味方で在り続けること。 誰かではない、自らの信を地図にして、答えの出ない毎日を一歩ずつ進んでいく。その不器用で懸命な在り方そのものが、周囲に静かな勇気を与えていくのだと思うんです。

信を磨き、和かち合う

自分の内側にある揺るぎない信を大切にしながら、他者の在り方も尊重する。 そうして育んだ自分だけの輝きを、誰かと無理に合わせるのではなく、ただそこに在るものとして和かち合い、響き合わせていけたら。

または、その姿に惹かれて集まる人たちと、新しい景色を見に行けるかもしれません。

あなたは今、周囲の目ではなく、自分の心の真ん中にある声を信じられていますか?

根拠なんてなくていい。 ただ「自分はこう在りたい」という信を灯して、今日という日を活き活きと表現していきたいと思うんです。