理解し合うことは出来る

人の手、サポート、物資、資源、エネルギー等…
あるところには沢山有るのに、必要なところに回らないのだとしたら…こんなに残念なことはありません。

この不均衡さを何とかしたいけれども、何も出来ていない自分自身を不甲斐なく感じています。

だって、皆が生きているのだし、皆で生きているのだから…
自分だけよければいい…で済ませたくないんです。

極論の話しではなく、これは、もしかしたら日々の日常で共感が足りてないから起きているのかもしれない…
そんな思いも浮き上がったり沈んだりしています。
でも、だからと言って、共感があればよいってものではないけれど、それにしても人が人として生きる上での対話や共感の在るやりとりや循環に価値を感じれないのだとしたら、それはとても悲しいことだと感じます。

僕自身もそうなのかもしれないけれど
何かに馴染みすぎていないか…
何かに慣れすぎていないか…
何かを置いてきていないか…

僕達はマシーンじゃない。
命ある人間なんです。

僕は不器用で未熟な人間という自覚があります。
けれど、不器用で未熟な人間なりに考えていることはあるんです。