病や障害を考える:基準のその先へ、私達が創る未来の視界

病や障害:後から与えられる「名」の本質

病や障害という「名」がつく状態は、特定の医学的な基準と、日常生活における支障の有無によって、後から定義され、与えられます。これは、その状態がもともと存在するのではなく、ある枠組みによって規定されることで「それ」として浮かび上がってくることを示唆しています。

2つのモデルと「生きづらさ」の源泉

障害の捉え方には、大きく分けて病理モデル社会モデルがあります。

  1. 病理モデル:問題の原因を個人の心身の機能の不調に見出し、治療や克服を目指します。
  2. 社会モデル:問題の原因を、環境や社会の側に存在する障壁に見出します。この障壁(建物、制度、文化など)が、個人の持つ特性と衝突することで「生きづらさ=障害」を浮かび上がらせる、と考えます。

かつて病理モデルを主としてきた厚生労働省も、現在では環境要素による「生きづらさ」が障害を浮き彫りにする、という後者の視点(社会モデル)を明記するようになりました。

重要なのは、現在の「規定」ではなく「解釈」

今、自分たちにとって大切なことは、現在起きている状態を特定の基準で規定し、その規定を強化することではありません。

そうではなく、この状態の本質を社会モデルという解釈として理解し、捉え直すことです。そして何より、自分自身もこの社会環境を構成するひとつの要素である、という自覚を持つことです。

自分たち一人ひとりが、日々の生活の中で「どう在るか」「どう生きるか」「他者とどう接するか」によって、病や障害を増やす方向に作用することもあれば、反対に、社会的な障壁を減らし、障害を減らすことのできる可能性も十分に持っているのです。

尊い未来の自分の姿として

いま目の前にある、特定の状態を持つ誰かの存在は、自分自身が将来持つかもしれない、あるいは自分たちが創り上げた環境の中で生きる尊い未来の自分の姿である、という捉え方ができるのではないでしょうか。

そして、その未来の姿を、生きづらさの少ないものにするかどうかは、私たち一人ひとりの行動と意識に委ねられている、とも言えるのではないでしょうか。