目に見えないものが、自分の道標になる

私たちはどうしても、目に見える成果や確実な正解ばかりを追い求めてしまいがちです。でも、本当に大切なことは、目に見えなくても確実にそこにあるものを観ようとすることではないかと思うんです。

それが、自分だけの人生を歩むための確かな道標になると信じています。


見えるものへの過信を手放す

かつての歴史を振り返れば、絶対に沈むことはないと言われていた巨大な船もありました。けれど、その船さえも水面下の氷山に当たり、自らが目に見えない存在となってしまいました。

目に見える強さや確実さが、必ずしも自分を守ってくれるわけではありません。 行く先だって、目に見えている部分はごく一部に過ぎないと思うんです。

自分という宇宙の循環

ふと立ち止まって考えてみると、自分の体だって同じです。肌の表面は見えていても、その内側で何が起きているかは直接見ることはできません。それでも、体の中では絶え間なく命が循環し、自分を支えてくれています。

見えないからといって、存在しないわけではない。 むしろ、見えない部分こそが、自分の根幹を支えているのではないでしょうか。

以前の自分は、目に見える結果が出ないことに焦り、形のない想いを軽視していた時期がありました。だからこそ、今は目に見えない「希(ねがい)」や、心の微細な動きを何よりも大切にしたいと感じるのです。


「和かち合い」が生み出す新しい景色

自分の中に希があるように、相手の中にも同じように大切な希があります。それは大きな野望である必要はなく、ささやかで微細なものであってもいい。

これからは、妥協や我慢で無理やり答えを出す「落とし所」を探すのではなく、その小さな希を互いに「和かち合って」いきたいと思うんです。

だって、目に見えない想いに共感し、理解し合おうとするプロセスこそが、これから先を創っていく原動力になるじゃないですか。

無数に在る、自分だけの「いき方」

世界はそもそも多様性に溢れていて、「違うという同じが在る」地図の上に成り立っています。

誰かではない自分としてどう生きるか。 その「いき方」は、決して一つではありません。無数に在る選択肢の中から、自分自身の感覚を信じて選んでいいのだと思います。

でも、私たちは時々、周囲の物差しに合わせて自分の希を隠してしまうことがあります。

今、自分の中に流れている目に見えない循環に、意識を向けられているでしょうか。 自分だけの道標は、今この瞬間も、足元を静かに照らしているかもしれません。