知識という地図、体験という大地
これまで必死に集めてきた知識や、磨き上げてきたスキル。それらは自分という人生を歩むための、とても便利な「地図」のようなものだと思うんです。
地図があれば、道に迷いにくくなるし、効率よく目的地へ向かえるかもしれません。でも、どれほど精巧な地図を眺めていても、実際にその場所の風を感じたり、土の匂いを嗅いだりすることはできませんよね。
そこにあるのは、どこまでいっても、自分を生きて活きるという、たった一度きりの「体験」だけなのだと思うんです。
知ることを超えた、その先へ
頭で理解していることと、腹落ちしていることは全くの別物です。 どれだけ言葉を尽くしても、理屈で説明しようとしても、どうしても超えられない壁のようなものがあります。
その知的理解の限界を超えていくには、結局のところ、どんな自分で生きるかという「体験」そのものに、自分を拓いていくしかないのだと思うんです。
でも、新しい体験に自分を拓くのって、ときには怖さを伴いますよね。 だって、地図にない場所に足を踏み出すのは、いつだって勇気がいることじゃないですか。
過去があるから、今を拓ける
これまでには、自分の知識が全く通用しなくて、途方に暮れた経験もありました。 だからこそ、頭で考えることよりも、今ここで自分が何を感じ、どう動くかという体感を信じることが、今の自分を支える力強い源動力になっているのだと感じます。
誰かではない自分が、この足で立ち、この目で世界を見る。 その一瞬一瞬の積み重ねこそが、本当の意味で自分を形作っていくのだと思うんです。
未知なる自分を和かち合う
自分の人生という大地を、誰かの書いた地図通りに歩く必要はありません。
たとえ地図から外れてしまったとしても、そこで出会う景色や感情をまるごと自分自身と和かち合い、味わい尽くすこと。そんな生き方の中にこそ、言葉を超えた真実が宿っている気がします。
今、手元にある地図を一度置いてみたとしたら、どんな景色が見えてくるでしょうか。
知識を握りしめるのをやめて、まっさらな自分として「体験」の中に飛び込んでみる。そんなふうに、自分自身のいのちを活かしていけたら、もっと自由になれるはずだと思うんです。
あなたは今、地図を眺めていますか。 それとも、大地を踏みしめていますか。


