自分の進むレールとは。
敷かれたレールに乗る…
レールから外れる…
レールから降りる…
とか、人生をレールに例えることってあると思います。
それって人によって安心にもなっているけれど、精神的な束縛の意味で信念や不自由さになっている事もあると思います。
ここに至るまでの家族、役割、立場に求められる期待、言葉を変えると要求なのかもしれない、その中で最善を尽くして生きてきた自分がいるんですよね。
そのレールに乗っていることで生きてこれたのは真実だと思います。
でも、そのレールからの眺めや世界観は狭き世界なんですよね。
自分以外にも沢山のレールを歩んできている人達がいるし、自分と同じ人なんてどこにも居ないのだから…
自分のレールやそこからの景色を正しさにしてしまっては、衝突事故になると思います。
だから、世界には、自分以外を知る為に理解して感じていく共感と想いを伝えるということが必要なんです。
考えてもらいたいのは、共感無き世界と想い無き世界はどうなっていくと思いますか…ということです。
もしかしたら寂しい世界や、対立し争い、尊厳を欠いた目では見え難い暴力的な世界に発展していくかもしれません。
自分がなぜそのレールに乗っているのかを知るのも共感です。
それに、自分を理解する共感が足りてないと他者のレールを否定したくなる。
もしも、自分がそうなのだとしたら、一度そのレールから降り、道なき道を歩んだらいいと思う。
改めて問いたいのは、「自分は、本当にレールに乗っているのか。」です。
自分ひとりで生きているのではないのだから…。それに、先なんか直ぐそこしか見えないですよね。