苦しみとは
仏教では、自分の思うようにならないことを「苦しみ」と捉えています。 私たちは何かを「こうしたい」「こうあってほしい」と強く望むからこそ、それが思い通りにいかなかったときに、ぽっかりと苦しみが訪れてしまうんですよね。
でも、ここで少し逆説的に日々の暮らしを眺めてみてほしいんです。
実は私たちの日常って、結構な割合で自分の思い通りになっていませんか? 食べたいと思ったときに温かいご飯が食べられて、眠りたいと思ったときに布団に入って眠れる。欲しいと思ったものが、欲しいときに手に入っていることって、実はとても多いと思うんです。
数分待てば予定通りに電車がホームへ滑り込んでくるし、数日前にネットで注文したものは、当たり前のように指定した日時に届く。
そう考えてみると、私たちの毎日はびっくりするくらい「思うようになっている」のではないでしょうか。
寛容さと感謝を忘れたとき
日常のほとんどがスムーズに、予定通りに進むからこそ、私たちはその便利さに慣れてしまいます。そして、たまに「思うようにならないこと」が起きたとき、まるで大事件が起きたかのように大きな苦しみを感じてしまうのだと思うんです。
だって、普段が思い通りになりすぎているじゃないですか。
すべての物事がスケジュール通りに進むのが当たり前になってしまうと、いつの間にか心の中にある寛容さや、日々の当たり前への感謝が薄れていってしまいます。
そうなると、自分自身に対しても、周りの人に対しても、「苦しくても思うようにしなきゃ」「絶対に予定通りに進めなきゃ」と、見えない縄で縛りつけるように頑なになってしまうと思うんですよね。
過去の望まない出来事や、計画が狂って苦しかった経験が、誰しも一度はあるかもしれません。だからこそ、自分の思い通りにならない瞬間に直面したとき、それを「ダメなこと」と切り捨てるのではなく、日々のありがたみに気づくための大切なきっかけとして受け止めていきたいのです。
握りしめた手を、そっと緩めてみる
よく「執着を手放す」という言葉を耳にしますし、それも一つの素晴らしい方法だと思います。けれど、無理に何かを抑え込もうとしたり、自分を厳しく律したりする必要はどこにもありません。
外側の評価や完璧な計画に縛られるのではなく、誰かではない自分の人生を、もう少し柔らかく生きてみてもいいのではないでしょうか。
ここで少し、日々の呼吸に意識を向けて、自分に問いかけてみてほしいのです。
自分が今、必死になってコントロールしようとしているものは、本当にそこまで頑なに握りしめていなければならないものでしょうか。
まあ、まずはゆっくりと深呼吸をして、自分の内側にある焦りや抑圧をそっと緩めてみませんか。一人ひとりがそんなふうに、自分にも他者にも少しずつ寛容になれる世の中になっていったら、とても佳いなと思うんです。
日々の小さな思い通りに感謝しながら、心地よい感覚を周りの人たちと「和かち合い」つつ、歩んでいきたいですね。

