誰かと比べることで保とうとする心
自分の位置や場所って、生きるうえでとっても大切ですよね。
だからこそ、「自分はAさんよりも〇〇だから…」と自分に言い聞かせてしまう。この比較が一時の心の静けさをもたらすこともあれば、逆に大きな嵐を巻き起こすこともあります。
例えば、心が不安定になったとき、自分を着地させるために「自分は、本来こうではないけれどAさんよりはマシ」という状態を作ると、すっと心が安定する。
こんな風に思ってきた経験、誰にでもあるのではないでしょうか。
もちろん私にもあります。寧ろ、進んでそう自分に言い聞かせてきましたし、周りの人にも同じように押し付けてきた人間です。
でも、これって、自分よりも状況が悪い人がいるからと、誰かではない自分の本心を抑圧してしまうことにもなると思うんです。
「自分は、まだ出来る。もっと頑張らなければならない」とか、「苦しいけれど、自分よりも大変な人はたくさんいるのだから、このくらいで弱音を吐いちゃいけない」って。
抑圧が生み出す、見えない外圧と内圧
そうして無理を重ねていると、内心では「あの人と同じようにはなりたくない」と他者を攻撃しながら、自分の立場を必死に守らなければならなくなってしまいます。
その無理は、一体何のためにしているのでしょうか。
抑圧された気持ちは、いつの間にか姿形を変えてしまうものだと思うんです。
「自分も耐えたのだから、自分以外の誰かもそうしなさい」と周囲への外圧になるか、または「抑圧している自分が悪いんだ」と内圧で自分を罰して卑下してしまうか。
さらには、他者に対して何かを課し、前提を作り上げることで、自分の今を正統化することだってあり得ます。
差別や偏見といった問題も、もしかするとこうした個人の心の構造から生まれてくるのかもしれません。
恐れの裏側にあるものと向き合う
「自分はあの人たちとは属性やカテゴリが違う」と線を引いてしまう背景には、実は内側にある恐れから抑圧した感情が存在しているのだと思うんです。
自分を守るために他者を下げて安心を得ようとしてきた時間があったからこそ、人間が持つ弱さや葛藤の構造に深く気づくことができたのかもしれません。
人が傷つかないための仕組みも、人が無意識に作り出してしまった差別や抑圧も、人が作ったものだからこそ、人の手で少しずつ変えていくことができるはずです。
誰かと比較して無理に立ち位置を確保するのではなく、自分の内側にある恐れや弱さをそのまま認めてあげたいですよね。
だって、誰かを見下さなければ保てない安心なんて、本当の意味で心が休まる場所ではないじゃないですか。
否定や批判で自分や他者を縛るのをやめて、素直な心で互いの存在を認め、和かち合っていきたいと思うんです。
今、自分は誰かと比べることで自分の痛みを誤魔化してはいないでしょうか。
自分の心の本当の声に耳を傾けることから、優しい世界への一歩が始まっていくのだと思います。

