有能であることは、有能でなくなることを忌避する。

優秀であることと、自身の未熟さを受け入れることのバランスは、多くの人にとって悩ましい問題だと思います。
今回は、このテーマについて深掘りしてみましょう。

・有能であることのジレンマ
私たちは皆、有能であることを望みます。それは仕事であれ、趣味であれ、あるいは人間関係であれ、何かをうまくこなせる自分でありたいと願うものです。そして、一度「有能である」と認識されると、そこから有能でなくなることを強く避けようとします。

これは自然な心理です。これまで築き上げてきた評価や自信を失うことへの恐れ、あるいは他者からの期待に応えられなくなることへの不安が、私たちを駆り立てます。その結果、新しい挑戦を避けたり、自分の弱みを隠そうとしたりすることがあります。しかし、この姿勢は、かえって私たちの成長を阻害する可能性を秘めているのです。

・未熟さの肯定と受容
では、「有能でなくなること」を忌避するからといって、未熟であることをただ認めればいいのかというと、そうではありません。ここには、その意味合いと使い方の姿勢に大きな違いが生まれます。

・未熟さの「肯定」とは
未熟さの「肯定」は、現状維持に甘んじることを意味する場合があります。「自分はまだ未熟だから、これでいい」と、努力や改善を放棄してしまうことです。これは、成長意欲を失わせ、結局は「有能であること」から遠ざかってしまいます。

・未熟さの「受容」とは
一方、未熟さの「受容」は、全く異なる姿勢です。これは、自分の未熟な部分を正直に認め、それを受け入れることを指します。しかし、単に受け入れるだけでなく、そこから何を学び、どう改善していくかという視点が含まれています。

例えば、新しいスキルを学ぶとき、最初は誰でも未熟です。その未熟さを「これが今の自分のレベルだ」と受容することで、恥ずかしがらずに質問したり、試行錯誤を繰り返したりすることができます。そして、その未熟さから目を背けずに努力を重ねることで、少しずつ有能な自分へと近づいていくのです。「これでいい・・・」と、その時の「今」を認めていくということですね。

・成長への道
結局のところ、真の成長とは、有能であることへの追求と、自身の未熟さの健全な受容のバランスの上に成り立っています。

自分の未熟さを直視し、それを受け入れる勇気を持つこと。そして、その未熟さを改善するための努力を惜しまないこと。この二つの姿勢が、私たちをより高みへと導いてくれる鍵となるはずです。

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