日常に潜む、無自覚な差別

「これは差別だ」と、はっきりと言えることばかりが差別ではありません。私たちの日常には、意図せずとも根付いてしまっている「無自覚な差別」が数多く存在します。

例えば、

  • 出席簿で男性が先に表示されること
  • 上席者の序列を優先して表示すること
  • 「年齢のわりにPCに詳しいね」という褒め言葉
  • 「女なのに理系に強いんだね」「男なのに家事をするんだね」といった表現
  • 「若いんだから、もっと頑張れるでしょ」
  • 「あの人、ハンディがあるから…」「あの人、メンタルだから…」という言葉

これらは一見すると些細なこと、あるいは悪気のない言葉かもしれません。しかし、これらすべてが、「普通」と「そうでない」を区別し、カテゴライズすることから生まれています。


「自分は普通でいたい」という意識が、差別を生む

この「普通」という意識は、知らず知らずのうちに社会の構造にまで反映されていきます。

  • 女性議員が少ないこと
  • 性差による生涯年収の差
  • 「合理的配慮」という言葉の機械的な響き

「合理的」という言葉は、辞書的な意味では効率的で論理的ですが、そこにはどこか機械的な冷たさが含まれていると感じることはありませんか?

本当に大切なのは、客観的なデータだけでなく、**主観的な感情やその人が持つ「生きる想い」まで含めた「生命的配慮」**なのではないでしょうか。


差別をなくすために、大切なこと

私たちは、つい物事を分かりやすくするためにカテゴリー分けをしてしまいます。それは確かに便利ですが、行き過ぎると、「自分は普通」という意識を肯定するために、それ以外を無意識に否定してしまうという構造に陥りかねません。そして、その結果、他者だけでなく、自分自身の個性さえも抑圧してしまうことにも繋がりかねないのです。

差別を直接なくそうと声を上げることだけでなく、そもそもなぜ差別が生まれてしまうのかを考えてみること。

「あるものが確かにそこにある」と、その存在を丸ごと受け止めるところから始めること。

これこそが、差別をなくしていくために最も重要な視点なのではないでしょうか。私自身も、無意識のうちに誰かを傷つけていないか、常に自分自身に問いかけながら生きていきたいと思います。