「待つ」時間の中にある、自分だけの物語

昔は、誰かに会ったり、話をしたりするまでに「待つ」という時間が必ずありました。固定電話しかなかった頃、好きな人に電話をかける時。相手のお父さんが出ないかドキドキしながら、電話が繋がるのを待ちましたよね。待ち合わせで相手が少し遅れてくる時、「何かあったのかな?」と心配したり、色々なことを想像したりして、その時間を過ごしました。

あの「待つ」という時間の中には、ちょっとした物語がありました。期待や不安、想像力が膨らむ、そんな豊かな時間でした。


便利になった世界と、失われたもの

今は、携帯電話やSNSなど、様々な連絡手段があります。知りたいと思えばすぐに連絡が取れ、相手の状況も簡単にわかります。とても便利で快適な世界です。

でも、その便利さの裏側で、私たちは何かを失ってしまったのかもしれません。

連絡が来ないとイライラしたり、相手を責めてしまったりすることはありませんか? いつでも繋がれるのが当たり前になったからこそ、少しでも連絡が途絶えると不安になってしまう。また、ちょっとした隙間時間もスマートフォンで埋めてしまい、自分の周りにあるものに気づきにくくなっているのではないでしょうか。私たちは、現実とバーチャルの境界が曖昧な、情報過多の世界にいます。


「待つ」ことが教えてくれること

「待つ」という時間には、必然的に「余白」が生まれます。

この余白を「無駄な時間」と捉える人もいるかもしれません。しかし、もしかしたら、この余白こそが私たちの心を豊かにしてくれるのかもしれません。

すぐに連絡が取れないと、「自分は大切にされていない」と簡単に諦めてしまったり、相手を見限ったりすることが増えたように感じます。でも、相手がすぐには連絡できない理由があるかもしれない、と想像し、相手を「待つ」ことは、相手を信じる力を育んでくれるのではないでしょうか。

「待つ」という行為は、誰かや何かを信じる心の余裕を与えてくれます。そして、それはきっと、私たちが本当の豊かさを選択していくための、新しい物語へと繋がっていくはずです。