命あるものへの向き合い方
「仕事ができる人」「できない人」といった評価を下すとき、自分の頭の中だけで線引きをしていませんか?
もし、その基準が次のようなものだとしたら、少し立ち止まって考えてみてほしいことがあります。
- 「すごい出来る人」:自分の思った通り以上に成果を出す人
- 「出来る人」:自分の思った通りに成果を出す人
- 「出来ない人」:自分の思った通りに満たない人
たとえば、できることの満点が100だとして、101点、100点、99点というわずかな差で、その人への対応や評価を大きく変えてしまってはいないでしょうか。
機械機能に慣れすぎると失われるもの
私たちは、いつしか効率や効果、向上の追求といった「機械的な機能」に慣れすぎてしまいました。
しかし、評価の対象としているのは、機械ではなく命を持った生命体です。
常に変化に富む生命活動を置き去りにして、結果だけを測る機械的な思考に陥ってしまうと、非常に重要なものを失うことになります。
そこに生まれるのは、単なる「評価」だけで、真の「感謝」は生まれません。
命を命として扱うこと
人が動くのは、その時々の想いや願い、そして目指す未来にそってのことです。ロボットのようにインプットされた通りに動くわけではありません。
だからこそ、人の可能性は常に開かれており、この先どうなるかなど、誰にも決めつけられるものではありません。
もし、たった一つの基準や一つの失敗で、誰かの可能性を簡単に見限ってしまうとしたら、それは非常にもったいないことです。
命あるものには、単なる評価ではなく、その努力、変化、そして存在そのものに対して、命を命として触れる温かさや敬意を忘れてはいけないのだと、改めて心に留めておきたいものです。


