責任の所在と組織の未来:ウェルビーイングな働き方のために

昔の言葉が問いかける「管理職の責任」

かつて、こんな言葉を聞いたことがあります。

「管理職は責任職だ。責任職は責任をとることが仕事なのだ。その人たちが責任をとらなかったら一体誰が責任をとるのか」

自分は当時、「まさにその通りだ」と納得していました。しかし、今の組織の現実に目を向けると、この原則が崩れ始めていると感じます。

一般職の人たちが日々の業務を行う中で、何か問題が起きたとき、本来の業務範囲を超えた責任までを負わざるを得ない状況があるのではないでしょうか。

組織形態は、依然としてトップダウンの階層(ヒエラルキー)構造です。しかし、こと「責任」に関しては、階層を飛び越え、最終的に一般職がそのまま受け持つような体制が、多くの企業で無意識のうちに構築されつつあるように感じています。

責任の細分化と信頼の喪失

従来の「親分子分」の関係が良かったかどうかは別として、かつての組織には、責任の所在と、それに基づく信頼関係が存在していたはずです。

組織が細分化し、分業的になる現代において、この責任の細分化が「責任の放棄」につながらないようにすることが極めて重要です。

上司や管理職が部下に対して行うのは、単なる指示ではなく、主体性をもって仕事を任せることでなければなりません。自分にとって都合の良い仕事や、面倒なことだけを一般職に押し付けるのは、責任の放棄に当たります。

一般職からすれば、「業務は増えるのに、責任ばかり重くなり、割に合わない…」と感じるのは当然です。結果として、意欲のある人材から組織を去ってしまう、つまり人が辞めていく要因となっているのではないでしょうか。

「Doing型」から「Being型」へ

この悪循環を断ち切るために、組織が変えるべきは、人材に対する姿勢です。

単に業務を教え込み、結果を詰め込む「Doing型」(行動・結果中心)から、個々の能力や意欲を認め、自発性を引き出す「Being型」(存在・資質中心)へと、マネジメントの軸足を移していく必要があります。

  • Doing型:「これをやれ。とにかくやれ。結果は自分の能力次第だ。」
  • Being型:「君に任せる。存分に自分を発揮してほしい。どんな結果でも学ぼう。」

共創経営の視点とウェルビーイングな働き方

いずれにしても、これらの組織変革は、経営層の価値観が色濃く反映されます。

今の時代、他社を打ち負かすことに焦点を当てた「サバイブする競争経営」の視点だけでは不十分です。お互いを認め合い、新しい価値を共に創り出す「共創経営」の視点がないと、社員の負担ばかりが増え、充実したウェルビーイングな働き方を実現することは難しいでしょう。

鍵となるのは、組織として静と動のバランス、つまり「原理原則を守ること(静)」と「変化に対応すること(動)」の両面を深く理解することです。このエンパシー(深い共感)を持った組織の在り方こそが、責任ある、持続可能な未来を築くための重要なポイントだと自分は感じています。