痛みや傷を、無理に「克服」しなくていい

世の中ではよく、過去の痛みや傷を「消化すべきもの」や「乗り越えるべき課題」として語られることがあります。克服することこそが成長であり、正解であるかのような風潮に、違和感を覚えるのは決して不自然なことではありません。

確かに、辛い出来事をなかったことにしたり、綺麗に消化したりできれば楽かもしれません。しかし、無理に形を変えようとすることだけが正解ではないはずです。

「共にある」ということの価値
起きた出来事を無理に消化しようとするよりも、その事実と共に生きていること、生かされていること。その状態そのものに、自分という存在の深い意味が宿っています。

例えば、思うように動かなくなった指や手、曲がった背中。それらは単なる損なわれた部位ではなく、今日まで懸命に生きてきた証であり、その人にしかない「らしさ」そのものです。

飾らない姿に宿る美しさ
美しさは、決して整えられた装いの中だけに存在するものではありません。 自分の身に起きたすべてを引き受け、そのままの姿で立ち続ける。その堂々とした佇まいには、どんな着飾った言葉や衣服も及ばない、圧倒的な美しさが宿っています。

痛みも傷も、自分の一部。 それらを排除せず、抱えたまま歩んでいく姿は、何よりも尊い表現なのだと感じます。