戦いの根底にあるのは「恐れ」

「平和のために戦う」という言葉がありますが、この「戦い」が前提の時点で、すでに平和からは遠ざかっています。

なぜ人は、戦いを選んでしまうのでしょうか。 少し厳しい表現になりますが、それは自分自身の内側にある恐れを消そうとして、短絡的に対象を制御・統制したくなるからではないでしょうか。

制御できない相手を策によって統制下に置こうとする世界観には、歩み寄りや共感は存在しません。そこにあるのは「取引」か「使うか使われるか」という冷めた関係性だけです。

もしどうしても闘いたいのであれば、その相手は「誰か」ではありません。自分の恐れを直視することができない、自分自身なのだと思います。

人が戦う理由は、ただひとつ。
「怖いから」です。

例えば、道端に転がっている石に対して「戦おう」とは思いません。それは、その石を恐れていないからです。

一人で抱えず、分かち合うことで生まれる安心

自分の中にある「恐れ」というものは、計り知れないほど大きく、一人で向き合うのは非常に困難です。怖いからこそ、目を逸らしたくなるのは自然な反応かもしれません。

しかし、その困難を一人で克服しようと躍起になるのではなく、皆で理解し合い、分かち合うこと。
それこそが、真の「安心」を生むうえで何よりも大切なのではないでしょうか。

抑圧された欲求や、抑止力という制御・拘束の中で感じる「不自然な安心」は、無意識の恐れからくる執着に過ぎません。

平和は「作るもの」ではなく「感じるもの」

平和活動の原点は、具体的な行動を起こす前に、まずは自分自身に正対すること。
自分の恐れに向き合い、認め、受け入れる。そこがすべての起点になります。

平和は、暴力や圧力、あるいは拘束力によって造り上げたり、維持したりするものではありません。

平和は、作るものではなく感じるもの。

一人ひとりの「在る」という自然な状態、そして心のリラックスから生まれてくるものだと、私は強く感じています。