時間の加速と、私たちの満たされなさ
日進月歩から、いまや分進秒歩へと変わった現代。あまりにも速く流れる時間のなかで、「一体自分は何を求め、何を得るために生きているのだろうか」と、時々立ち止まって考えてしまうことがあります。
世の中には魅力的な情報やモノが溢れていて、あれもこれもと手を伸ばしたくなるかもしれません。でも、本当に大切なのは、自分には何が必要で、何があれば他は大して要らないのかを見極めることではないでしょうか。
私たちは、有限であるはずのいのちの時間の中で、まるで無限に得ようとするかのような欲を抱いてしまいます。その根底には、何かを失うことや、置いていかれることへの本質的なおそれがあるのかもしれません。
条件の中で生きるのか、いのちを生きるのか
私たちが心に本当の満たされを感じるには、外側の成果や記号に振り回されるのではなく、もっと「人として生きること」そのうちに着目する必要があるのでは…と思います。
ここで少し、胸に手を当てて考えてみてほしいのです。
自分が今過ごしている時間は、頭で決めた条件をクリアするためのものでしょうか。それとも、この一度きりのいのちを生きて、活きるためのものでしょうか。
過去の望まない出来事や、物質的な豊かさを追い求めて心がすり減ってしまった経験が、誰しも一度はあるかもしれません。だからこそ、その痛みを経た今、何が本当に自分を満たすのかに気づくための、今を生きる源動力として繋げていきたいと思うのです。
外側のモノサシに合わせて自分をすり減らす生き方からは、少しずつ距離を置いていきたいですよね。
思考のエネルギーを向ける先
でも、私たちはつい、頭の中だけでぐるぐると正解を探して、自分を枠組みの中に閉じ込めてしまいがちです。
だって、周りのスピードに合わせている方が、一時的には安心できるじゃないですか。
けれど、そうした思考の中身やエネルギーを、誰かではない自分を証明するための競争ではなく、身近な人との「共創」と「和かち合い」に向けてみると、世界はまったく違う姿を見せてくれると思うんです。
誰かと比べることを手放し、共に新しいものを生み出し、温かい実感を和かち合っていくこと。その心地よいエネルギーの循環の先にこそ、何かが動きだして変化していく未来があるのだと思います。

