届くと信じて、言葉を紡ぐ

「自分の想いは、本当に誰かに届いているのだろうか」

そんなふうに、ふと不安になる瞬間はありませんか。目に見える反応がすぐに返ってこないと、自分の発している言葉や行動が無意味に思えてしまうこともあるかもしれません。

でも、届くかどうかの結果を気にして縮こまるのではなく、「必ず届く」と信じて伝え続けることそのものに、大切な意味があると思うんです。

世の中には、自らの体験を通さず、理屈や知識だけでガチガチに固められた世界観が存在しています。そうした頭でっかちな世界に響いてしまうのは、どこか冷ややかな「諦めの音」ではないでしょうか。その諦めの音を私たちが響かせ続ければ、冷たい社会モデルもまた、さらに肥大化していってしまうのだと思うのです。

批判の奥にある、正対できない表現

私たちは時として、周囲に対して否定や批判、非難といった言葉をぶつけてしまうことがあります。または、誰かからそのような言葉を投げかけられて、深く傷つくこともあるかもしれません。

過去にそうした言葉のトゲにさらされ、苦しい思いをした経験が、自分の中にもあったはずです。だからこそ、その痛みをただの傷跡にせず、言葉の裏側にある本質を見抜くための、今を生きる源動力にしていきたいと思うのです。

こうした否定や批判、非難というのは、実はすべて「反感の顕れ」なんですよね。真正面から相手と向き合うことができないからこそ、攻撃という形をとって現れてしまう、ある種の不器用な表現なのだと思います。

だって、私たちは生まれた時から、そんな尖った音を出していたわけではないじゃないですか。

誰もが最初は、もっと柔らかく、純粋な存在だったはずです。

願いに繋がること、信じること

外側の冷たいルールや、誰かが作った正論の枠組みに、自分を無理に押し込める必要はどこにもありません。誰かではない自分自身の人生を、もっと自分の内なる感覚を信じて歩んでいきたいですよね。

ここで少し、日々の関わり方を振り返って、自分の胸に問いかけてみてほしいのです。

自分が今、誰かに向けて放っている言葉は、諦めの音でしょうか。それとも、心の奥にある純粋な願いに繋がる音でしょうか。

お互いが心の底で本当に求めている「願い」に、もう一度繋がれること。それを心から願い、信じ続けること。

表面的な正しさで争い合うのをやめて、一人ひとりが持つ温かい願いを、静かに和かち合っていく。そんなふうに、今ここにある存在をそのまま肯定し合える関係を、まずは自分自身の手から始めていけたら佳いなと思うんです。