柔よく剛を制す

柔よく剛を制す。 この言葉を耳にすることはよくありますが、本当にその通りだと思うんです。

「剛」というのは、頑丈で揺るがない強さのように見えますよね。でも、その強さが発揮されるためには、実は足元が硬い場所であったり、状況が固定されていたりすることが前提になっているのではないでしょうか。

たとえば、どれだけ重いバーベルを持ち上げられる重量上げの選手であっても、足元がぬかるんだ湿地のような柔らかい場所では、うまく力を踏ん張ることができません。固定された土台を失った途端に、剛としての強さは抜けていってしまいますよね。

確固たる正しさや、頑なな強さにこだわって生きようとすると、予期せぬ変化や思い通りにいかない現実に直面したとき、ポキリと折れてしまうかもしれません。

力まずに、自分を柔らかに発揮する

私たちはつい、社会や周囲の中で強くあろうとして、肩に力を入れてしまいがちです。

でも、ガチガチに固まって生きることだけが、本当に自分を守る方法なのでしょうか。

過去に、力任せに頑張って燃え尽きてしまったり、自分の頑固さゆえに周囲と衝突してしまったりした望まない出来事があったかもしれません。だからこそ、頑なであることの限界を知り、しなやかさの大切さに気づくことができるのだと思うんです。その経験は、状況に応じて自分を柔軟に変容させていく、今を生きる源動力となっている力強さに繋がっているはずです。

誰かではない、自分だけの人生を心地よく進んでいくためには、もっと力を抜いていいのだと思います。

だって、周囲の環境がどうであれ、水のように形を変えられる柔らかさを持っていれば、どんな場所でも自分を見失わずにいられるじゃないですか。

わざわざガチガチの鎧をまとって力まなくても、自分を柔らかに発揮していけば佳いんじゃないのかな、と思うんです。

自分の足元を見つめ直す

ガチガチに固まったルールや役割に縛られるのではなく、その時々の状況を受け入れながら、しなやかに、軽やかに生きていく。そうやってお互いの在り方を認め、和かち合いながら進んでいけたら安心できますよね。

目の前の現実に抗って力でねじ伏せようとするのを一度やめて、自分の心をふっと緩めてみる。または、頑なになっている自分自身に気づいて、そっと力を抜いてみる。

いま、自分自身の心や身体は、ガチガチに力んで硬くなってはいないでしょうか。 少しだけ力を抜いた先に、どのような新しい選択肢が見えてくると思いますか。

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