「当たり前」の内訳は
私たちが普段、何気なく過ごしている毎日。そこにある「当たり前」なことなんて、本当は何ひとつないのだと思うんです。
道に咲く花を愛でることや、誰かと挨拶を交わすこと。その背景には、数えきれないほど多くの人たち、一人ひとりの大切な想いが集まって、今の日常という形が創られています。
だとしたら、誰が決めたかも分からない全体の曖昧な「当たり前」に振り回されてしまうのは、少しもったいない気がするんです。それよりも、自分自身の素直な想いを表に出せる自然さを大切にしながら、本当の意味での「当たり前」を思い出していく方がいい。そう思うんです。
恐れという名の名脚本家
新しい一歩を踏み出そうとするとき、ふと足がすくむような「恐れ」を感じることがあります。でも、その恐れは思考が作り出したドラマに過ぎません。
頭の中で繰り広げられる不安なヴィジョンやストーリーは、決して事実ではないんです。それは、私たちの本能が自分を守るために書き上げた「脚本」なのだと思うんです。
でもね、そんな素晴らしい脚本家が自分の中にいてくれたからこそ、これまで数々の困難を乗り越えて生きてこれたんです。
だからこそ、今はその脚本家を否定するのではなく、心から感謝し、讃え、温かく迎え容れたい。その守りがあったからこそ、今の自分が存在しているという力強い事実を認めたいと思うんです。
いのちの側に立つ選択を
これまでは、恐れから描かれる脚本に従って自分を守ってきました。
でも、これからは少しだけ勇気を持って、別の道を選んでみませんか。恐れに基づいた守りの脚本ではなく、今ここに在る「いのち」を精一杯生きて、活かしていくための選択をしていく。
だって、私たちが抱く尊い想いや願いは、恐れの側ではなく、常にいのちの側に在るじゃないですか。
誰かではない自分として、その輝きを信じてみたいと思うんです。
想いを「和かち合い」ながら
自分の内側にある防衛の皮を一枚ずつ剥いで、反転した後の新しい自分に出会う。そのプロセスは、まさに「自分に成っていく」旅そのものです。
恐れの脚本を手放し、自分の純粋な想いを言葉に乗せていく。そうして一人ひとりが自分の人生を引き受けていくことが、新しい社会の「当たり前」を創る一歩になると信じています。
自分の中に眠るリソースを信じて、今日はどんな「いのちの選択」をしてみますか?

