『10円メール』というメール
ふと思い出したことがあります。 「10円メール」というサービスがあったことを。
CMに織田裕二さんが出ていて、私も一時期ものすごく使っていました。もう27年くらい経つでしょうか。
当時は、庶民もポケベルから携帯電話に移行し始めた頃でした。主流だったポケベルは16文字までで、公衆電話で素早くダイヤルを打ち込んで最低10円だったのに、10円メールは専用端末が必要でしたが、その名の通り1回10円で結構な文字量のメールをどこからでも送ることができたんです。
喜んで使い過ぎて、メールだけで月8,000円くらい払った記憶があります。今では考えられないですよね。
その当時の最先端に心弾ませていましたが、今では誰も振り向かないし、古いと思うでしょう。ネットの通信料金も今と違って定額制は少なく、ダイヤルアップ接続で繋いでいる時間中ずっと接続料もかかっていました。本当に不便な時代だったと思うんです。
不便だからこそ見えてくる価値
でも、不便なら不便なりに別の価値が観えるだろうし、当時は「そんなもん」が最高に輝いていたんですよね。
1回10円かかれば、送る文章も熟考するだろうし、不要なページは見ないのかもしれません。通信速度が遅くて繋がりにくかったという、今の基準から見れば望まない出来事のように思える環境があったからこそ、私たちは一文字一文字に心を込め、相手と繋がることのありがたみを深く実感できたのだと思います。その時に感じたときめきや工夫は、効率化された今を生きる源動力となっている力強さとして、自分の中に確かに息づいていると思うんです。
だって、簡単に手に入らないものほど、愛おしく大切に扱えるじゃないですか。
便利な道具がなかった時代を経験したからこそ、誰かではない、自分だけの人生において「本当に大切なものは何か」を見つめ直す智慧が育まれたのだと思うんです。
手段に振り回されず、想いを真ん中に
いまはボタン一つで、世界中の誰とでも無料で瞬時に繋がれる時代です。
ただ、人を満たすのはいつだって技術そのものではなく、そこに乗せられた「想い」ではないでしょうか。技術はあくまでサポートであり、手段に過ぎません。
最新のツールや便利な手段に自分の想いを無理に近づけて満足するのではなく、いつの時代も、自分の内側にある純粋な想いを忘れずに大切にしたいですね。溢れるほどの情報や便利な機能と、温かい心の繋がりをどのように和かち合いながら生きていくか。
目の前の便利な暮らしの中で、自分は本当に伝えたい想いを、今どれだけ丁寧に扱えているでしょうか。

