「信じる」という、少し不器用で尊い時間
人は、どこかで誰かと繋がりを感じ続けていたい生き物なのだと思うんです。 普段はあまり意識していなくても、大切な人に電話をかけて繋がらなかった時、どんな気持ちになるでしょうか。何度かけても応答がないと、次第に心配が募り、焦りや不安が顔を出してくる。それは、無意識に信じていた繋がりが失われるような感覚を覚えるからだと思うんです。
でも、今のように一人ひとりが端末を持っているのが当たり前になる前は、もっと不自由でしたよね。
待つ時間に宿っていたもの
スマホもない時代、大切な人に連絡をしたければ自宅に電話をかけるしかありませんでした。運よく本人が出てくれればいいけれど、大抵はご家族が電話に出る。そこには、予定していなかった「挨拶」という一大イベントを乗り越えて、ようやく本人と繋がれるというプロセスがありました。
待つことが当たり前だったあの頃は、今とは繋がりの質が違っていた気がするんです。すぐに対処して答えを出そうとするよりも、その場所に留まり、相手も自分も信じるパワーが、当時の自分たちには備わっていた。
不便だったからこそ、会えない時間に相手を想い、繋がりを信じるという美しき情緒を感じる術を得ていたのかもしれません。
現代の速さと、繋がりへの問い
今は直接本人と簡単に繋がれる。だからこそ、思うようにならないと簡単に関係を切ってしまったり、今そこにある繋がりに気づかず、別の手段に逃げてしまったりすることもあります。
もちろん、昔は良かったと繰り返すばかりでは、何かの落とし穴にはまってしまいそうな気もします。大切なのは、過去を懐かしむことではなく、その中にある「信」の在り方を今に活かすことだと思うんです。
だからこそ、便利なツールがある現代において、あえて「待つ」という選択肢を自分の中に持っておくことが、豊かな心に繋がるのだと思うんです。
だって、繋がらない時間があるからこそ、繋がった時の喜びが深まるじゃないですか。
「信」を堂々と磨いていく
誰かではない、自分の人生において本当に大切な繋がり。 それを「恥ずかしい」とか「いい大人なんだから」という言葉で正当化して、無いことにしないでほしい。
待つことを前提に、相手を信じる力を堂々と磨いていく。そのプロセスを大切に自分の中に育てていくことが、一人ひとりのウェルビーイングに接続していくのだと思うんです。
大切な人との価値観を和かち合い、信じる時間を楽しむ。 あなたは今、誰かとの繋がりの間に流れる「待つ時間」を、どんな想いで過ごしていますか?
そんな問いを自分に投げかけながら、一つひとつの縁を丁寧に温めていきたいと思うんです。

