目の前の存在に触れること

初対面のコミュニケーションで、よく交わされる質問があります。 「ご出身はどちらですか?」 「今、どんなお仕事をされているんですか?」

何気ない会話のきっかけとして、私たちはつい出身の都道府県や今の居住地、出身校や職種といった「属性」を尋ねてしまいがちです。でも、ふと思うんです。これらの情報は、一体何を得るために役に立つのでしょうか。

逆に言うと、こうしたバックグラウンドを使わないと、人と人とのコミュニケーションは成り立たないものなのでしょうか。

お互いに当たり障りがないと思って選んでいる定番の質問が、実は相手にとっては「当たり障りが大有り」ということも、世の中にはたくさんあると思うんです。

聞いてしまうこと、触れてほしくないこと

私たちは社会の中で生きるうちに、知らず知らずのうちに「こういうときは、これを聞くのが正解だ」という見えないルールを造りあげてしまっているのかもしれません。

ついつい流れるように聞いてしまうけれど、実はあまり触れてほしくない部分や、そっとしておいてほしい領域は、誰しにもあるものですよね。

過去の望まない出来事や、自分の背景にあることで傷ついたり、窮屈な思いをしたりした経験が、自分の中にもあったかもしれません。だからこそ、そうした痛みを、相手の領域に土足で踏み込まないための優しさに変えていきたいのです。相手を履歴のデータとして見るのではなく、一人の人間として大切に扱うための今を生きる源動力にしていけたらと思うんです。

でも、私たちはつい、分かりやすい肩書きや過去の経歴という「外側の情報」を頼りにして、相手を安心できる枠組みに当てはめようとしてしまいます。

だって、目に見える数字や記号で相手を判断する方が、頭を使わずに済むから楽じゃないですか。

歴よりも、今そこにある意識

もし、目の前の存在に本当の意味で興味があるのなら、過去の履歴を詮索するよりも、もっとシンプルに、その人が「今、意識を向けている在るもの」に触れていく方がずっと佳いと思うんです。

「今、どんなことに心地よさを感じていますか?」 「最近、どんな景色が心に残りましたか?」

そんなふうに、今この瞬間を生きているお互いの内なる感覚に目を向けてみる。外側の条件をすべて取り払ったとき、残された誰かではない自分自身が、今ここで何を感じているのか。

ここで少し、自分の胸に問いかけてみてほしいのです。

自分が誰かと繋がろうとするとき、本当に見ようとしているのは相手の「過去の肩書き」でしょうか。それとも、「今ここにいるその人」の存在そのものでしょうか。

過去のデータで相手をジャッジするのをやめて、今そこにある想いを丁寧にすくい上げていく。そんなふうに、目に見えないお互いの精神の充実や喜びの感覚を、静かに和かち合いながら関わっていけたら、とても気持ちがいいなと思うんです。