トロフィーの中には何が在る?
もし、人生のなかで何か大きな成果を出し、トロフィーを得る機会があったとしたら。 自分は一体、何をしてそれを得たのかを静かに見つめ直したい、と思うんです。
私たちはつい、目に見える結果や実績を追い求めてしまうことがあります。 でも、勝ちに拘って、周囲を押しのけるようにして得たトロフィーのカップには、一体何が入っているのだろう……と、ふと考えてしまうのです。
もしかしたら、その中身は空っぽなのかもしれない。 そんな風に思うことがあります。
カップを満たす、目に見えないもの
一方、結果的にたまたま手元にやってきたカップは、少し趣が違うように感じます。 そこには、共に歩んだ仲間や切磋琢磨したライバル、そして影で支えてくれた多くの人たちの想いが、なみなみと満たされていると思うんです。
だって、目に見える形あるものだけが、本当に価値のあるものとは限らないじゃないですか。
手元にある成果を眺めたときに、自分は何を感じるのか。 そこが大きな分岐点になるような気がしています。
さらに上を目指して、もっと何かで満たそうとする執着が始まってしまうのか。 それとも、既にある温かい繋がりによって、自分は最初から満たされていることに気づくのか。
過去の不器用な歩みのなかで、時には結果だけを求めて孤独を感じたこともありました。 だからこそ、今こうして手元にある繋がりや、目に見えない誰かの想いに気づけたとき、胸の奥がじんわりと温かくなるのだと思います。
ひとりで得たものではない価値
自分が手にした成果や縁は、決して自分一人で得たものではありません。 その想いや、周囲との間に生まれた繋がりを、大切に「和かち合い」ながら生きていけたら素敵ですよね。
誰かではない自分自身が、その「既にある満たされているもの」に価値を感じられるかどうか。
今、自分の手元にある成果や日常を振り返ったとき、そこには誰のどんな想いが隠れているでしょうか。 失う前に、その尊さに気づける自分でありたい、と思うんです。

