自分の中の「正しさ」と灰色の世界

ダイバーシティという言葉を、よく耳にするようになりました。 この言葉は、自分にとって今どんなものになっているでしょうか。

誰もが尊重される理想的なあるべき世界なのか、それとも、自分とは違う「じゃないもの」を排他的にするための便利な手段になってしまっているのか……。 ふと、そんな風に考えてしまうことがあるんです。

私たちはつい、社会のルールや目に見える枠組みばかりに目を奪われてしまいます。 けれど、本当に大切なのは、外側の定義を議論することではなく、自分の中にあるダイバーシティを静かに見つめることだと思うんです。

もし、自分が「正しさ」だけを生命線にして生きているとしたら、どうなるでしょうか。 そこからは主観的に感じる部分や、美しさ、彩り、香りといった豊かな表現がどんどん失われていってしまう気がするのです。

競い合いの果てに失うもの

正しさだけを基準にしてしまうと、目の前の現実がどんどん灰色の世界に書き換えられ、ただの正しさの競い合いになってしまうのかもしれません。

過去の不器用な歩みの中で、自分の正論を他人に押し付け、誰かを傷つけてしまったこともありました。 だからこそ、白か黒かだけで割り切れない、グラデーションのある心の響きを大切にしたいと思うのです。

だって、人と人とが共に生きる世界って、もっと泥臭くて温かいものじゃないですか。

でも、私たちは無意識のうちに、自分の正しさを守るための防壁として言葉を使ってしまうことがあります。 誰かではない自分自身の内側が、本当に多様性を受け入れる土壌になっているのかを問い直すことは、少し怖いことでもあるけれど、とても意味のあることだと感じます。

土台にあるものを掴みにいく

ダイバーシティという耳ざわりの佳い言葉を踊らせるよりも、その中身と土台が、自分のどんな想いや経験から出来ているのか。 そこを深く見つめ、周りの人たちと共にある意味を、しっかりと掴みにいきたいですね。

私たちは、一人ひとりが違う彩りや香りを持った有限の存在です。 その違いを、ただの知識ではなく、お互いの命の営みとして「和かち合い」ながら生きていけたら佳いなと思います。

今、自分が握りしめているその「正しさ」は、誰かを排除するためのものになっていませんか。 自分の内側にある世界は、今日、どんな色や香りで満たされているでしょうか。

言葉の表面をなぞるのをやめて、自分の根っこにある音に耳を澄ませてみる。 そんな風に、共に生きる意味を新しく見つめ直してみたいと思うんです。