体験を生きている人から学ぶ
世渡りが上手で、何でもスマートにこなせる人たちから学ぶよりも、不器用だけど自分に実直で、体当たりな生き方をしている人から学びたいと思うんです。
泥まみれになり、時には血みどろになってでも、愚直に自らを生き抜いてきた人。そういう人の姿に、私はどうしても惹かれてしまいます。
それはきっと、内容の正確さや分かりやすさよりも、実際の体験から紡がれる言葉の一つひとつに、固有の香りと潤い、そして深い慈しみが質量を伴って伝わってくるからだと思うんです。
効率よりも大切なこと
効率よく、正解だけを選んで歩んでいるように見える人は、一見すると魅力的です。
でも、本当に心を揺さぶられるのは、たくさん傷つきながらも自分の足で立とうとしている人の言葉ではないでしょうか。スマートに生きられない自分を責めた夜があったからこそ、その不器用な歩みは、今を生きる力強い原動力になっているのだと思います。
だって、綺麗に整えられた正論ばかりじゃ、人間の本当の温かみは伝わらないじゃないですか。
自分を生きるという問い
誰かではない自分の人生を、誤魔化さずに生きることは決して楽な道ではありません。
時には周囲とぶつかり、迷い、立ち止まることもあると思います。それでも、自分の内側から湧き出る感覚を無視せず、泥をはらいながら進む姿は、何よりも美しいと感じるんです。
効率や正しさばかりが求められる現代のなかで、私たちはどれだけ自分の生々しい体験を信じられているでしょうか。
綺麗にまとまったノウハウを消費するだけの毎日に、少しだけ立ち止まって、自分自身に問いかけてみたくなります。
自分は今、傷つくことを恐れて器用に生きようとしていないだろうか、と。
他人の用意した正解をなぞるのではなく、自分の泥臭い経験から生まれた言葉を、大切な人と「和かち合い」ながら生きていこう。

