正義の対義語は

正義の対義語って、一体何だと思いますか? 悪? それとも不義?

きっと、あれですよね。

そう。正義の対義語って、実は「悪」なんかではなくて、「自分の正義を行使する、自分以外の正義」だと思うんです。

ぶつかり合う、それぞれの「正しさ」

お互いが「自分が正しい」と信じ切っているからこそ、世の中の争いは終わらないし、根深くなっていく。誰も悪いことをしようとしていないのに、結果として誰かが傷ついてしまうのは、本当に切ないことですよね。

自分の正義を盲信してしまうと、周りが見えなくなってしまいます。

でも、一歩引いて考えてみると、目の前の相手にもその人なりの背景や、どうしても譲れない大切な何かがあるのかもしれないと思うんです。

だって、誰もが自分の信じる幸せに向かって必死に生きているじゃないですか。

正しさの先にあるもの

自分の価値観を押し通すことだけが、本当に目指したいゴールなのでしょうか。

過去に、自分の「正しさ」で誰かを論破してしまい、後味の悪い思いをしたことがありました。相手を負かしたところで、そこには何の温もりも残らなかったんです。

だからこそ、いま私は、自分の正義だけを振りかざすのではなく、相手の輪郭をそのまま認める強さを持ちたいと感じています。あの苦い経験があったからこそ、正論よりも大切にしたい関係性に気づくことができたのだと思うんです。

誰かではない自分の人生を豊かに生きるために、私たちはどれだけ「自分以外の正義」に耳を傾けられているでしょうか。

白黒をはっきりつけることばかりが求められる世界の中で、その間にある曖昧さや、お互いの痛みを「和かち合い」ながら進んでいけたら素敵ですよね。

今、自分が頑なに守ろうとしている「正しさ」は、一体誰を幸せにするものなのか。

そんな問いを、時々は自分自身に向けてみたいと思うんです。