自分は、自分の目撃者

私たちは日々、いろんな感情を抱き、いろんな行動をとっています。 その中で、どれだけ自分の内側に意識を向けられているでしょうか。

自分は自分の目撃者であり、いつも自分を「目撃」している。

そんな風に、もう一人の自分が自分自身をそっと見つめているような感覚を持つことが、とても大切な気がするんです。

ここで重要なのは、ただ見つめることだけではありません。目撃した後に、自分の中に何が「起きる」かを知ること。その反応の中にこそ、本当の「自分」がいるのだと思うんです。

反応の中にいる、ありのままの自分

何か出来事があったとき、心がざわついたり、嬉しくなったり、あるいは怒りが湧いてきたりしますよね。その反応を「こんな風に思ってはいけない」と否定する必要はどこにもありません。

そのままでいいし、ありのままの自分でいい。

でも、私たちはつい、世間の正しさや誰かの基準に合わせて、自分の反応をジャッジしてしまいがちです。

過去に自分の素直な気持ちを否定されて傷ついたという、望まない出来事があったかもしれません。だからこそ、自分のどんな反応も拒絶せず、まずは「今、私はこう感じているんだな」とそのまま受け止めることが、今を生きる源動力となっている力強さに変わっていくのだと思います。

だって、自分の最初の理解者は、誰かではない自分自身じゃないですか。

「自ら」から始まる三つの言葉

「自由」「自信」「自尊」。 どれも素晴らしい響きを持つ言葉ですが、そのすべての頭に「自(みずから)」という文字がついているのは、とても深い意味があると思うんです。

  • 自らを由(よし)とするのが「自由」
  • 自らを信じるのが「自信」
  • 自らを尊ぶのが「自尊」

外側に答えを求めるのではなく、どこまでも自分を起点にしていくこと。それが、本当の意味で自分らしく生きるということなのかもしれません。

ないものを探して埋めようとするのではなく、自分には「在るものが在る」という事実を、ただ真っ直ぐに目撃していく。その静かな心の在り方を、大切な人と温かく和かち合いながら生きていけたら心地いいですよね。

目の前の状況に振り回されてあれこれ対処するのを一度やめて、自分の内側の反応をただ観察してみる。または、自分のなかに既に在る満たされた部分にそっと意識を向けてみる。

いま、自分は自分の良き目撃者になれているでしょうか。 自分の心の中に「在るもの」を見つめたとき、どんな反応が湧き上がってきますか。

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