【テンプレ】ブログ

自分を知ろうとするときや、心を守っている分厚い殻を外そうとするとき、「玉ねぎの皮を剥く」という例えがよく使われます。一枚剥くごとに芯に近づいていく、そんなイメージを持つ人が多いと思うんです。

でも、ただ剥いて捨てることだけが大事なのではありません。
本当に注意深く観てほしいのは、実は「剥いた皮」の方だと思います。

剥がされた皮は、どこかへ消えてなくなるわけではないんです。


認知が反転する瞬間の姿

剥いた皮をそっと裏返してみる。すると、そこにはひっくり返った反対側の姿として、もう一つの玉ねぎが顕れてくる。そんな感覚を大切にしたいと思うんです。

これまでの自分を守ってくれていた防衛反応や、握りしめていた価値観。それらを「不要なもの」として捨て去るのではなく、その裏側に隠された意図や役割を認め、受け入れていく。

  • 剥がす前の、自分を守ろうとしていた姿
  • 剥がした後の、新しい視点を得た姿

この両方の姿があってこそ、本当の意味で「自分」という存在が完結するのだと思うんです。どちらか一方が正解なのではなく、その両方の認知を抱えながら生きることが、自分を深く知るということではないでしょうか。


「だからこそ」見えてくる強さ

かつて……ではなく、これまでに自分が必死に皮を重ねて心を守ってきた時間は、決して無駄ではありません。

だからこそ、その皮の一枚一枚にどれほどの想いが詰まっていたのか、今の自分なら痛いほど分かるんです。その防衛本能さえも、今の自分を形作る大切な源動力になっていると思うんです。

自分を守るために必死だった過去の自分。そして、その皮を脱ぎ捨てて新しい世界を観ようとしている今の自分。そのどちらもが、誰かではない自分自身なんです。

統合されていく自分

玉ねぎの皮を剥く作業は、自分を削ぎ落とす作業ではありません。むしろ、一つひとつの経験や感情を丁寧に「和かち合い」、自分の中で統合していくプロセスだと思うんです。

だって、過去の自分を否定したままでは、本当の意味で前を向くことなんてできないじゃないですか。

「自分に成る」ということは、反転する前と後の両方の自分を、堂々と引き受けていくこと。その覚悟を持ったとき、私たちは生きるために自分を最大限に活かしていけるようになるのだと思うんです。

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